2004年12月15日
ゆとり教育っていうじゃない。でも、、、
学力低下が止まりませんから、残念!
べたべたな展開はさておき、「ゆとり教育」っていっても、もうそんな時代でもないんだよね。ゆとり教育なんて言葉は、ウチらが小学生の頃からある。でも、結局指導要領上での実現なんて、夢のまた夢の話だった。ベビーブーム世代の最後に当てはまるわけで、いやがうえにも受験による競争は激しかった。そんな状況じゃあ、「ゆとり教育?なに言ってんの。そんな場合じゃないだろ」って具合で、まず実現は無理。少子化になって、競争も少なくなった今の子供の世代はそれだけで、十分なゆとりなんだから、学校で楽させる必要などない。そもそも、「ゆとり」と言うのは、教えることを減らすことではない。生徒の生活のなかで、学習の時間と自由な時間のメリハリが作れればいい。
最近、いろいろな学生と接しているが、はっきり言って本当の意味でのやる気がない学生がほとんど。先生に言われれば、先生がいれば何かをするが、自分から何かをしようとする発想がない。下手すりゃ、言われたことも「自由」を立てにやらない勢い。ウチらの世代も支持待ち族なんて揶揄されたが、ここまでひどくはなかった。少なくとも、やるべきことは、言われなくてもやっていた。中学高校は進学校と呼ばれるところだが、教師が特別すごいことを教えていたのではなく、むしろ授業だけじゃ不安だからと、同級生たちはせっせと自習に励んで、知識を増やしていたものだった。まあ、そこからのプラスがないから、指示待ち族と言われていたわけで。
結局、授業で覚えなければならないことが減って、自由な時間が増えても、それを生かして何かしようという意識が希薄であれば、何の意味もない。やる気ばかりは、さすがに教師も教えられない。自由時間で補って知識を増やすなんて発想はもはや期待できそうにない以上、少なくとも覚えるべきことは妥協せず教えたほうがいいだろう。
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