2005年01月23日

蕨城・戸田城

蕨城に行く。
と言っても、蕨市公民館前の公園に碑があるだけ。池が堀跡だと言うけど、だいぶ改変してあるから、堀跡と言うには無理がある。なんとか、土塁跡と思しき土盛が残るのみ。江戸時代は中山道の宿場だったため、将軍のための御殿があったから、土塁も堀跡も今となっては、いつのものかの特定は難しい。
一応、戸田市にも蕨城があったという説がある。戸田市中央のあたりが、かつては元蕨という地名だったことから、蕨城は戸田市にあった。という主張である。これで、一時期、蕨市と戸田市でちょっとした論争(むしろ喧嘩?)があった。肝心の戸田市の蕨城跡だというあたりには、なんの痕跡もない。箱薬研堀が出たとか土塁があったいう調査報告もあるが、すっかり跡形もない。
ちなみに論争のそもそもきっかけになったと言われているのが、『蕨市の歴史』で戸田市説を併記したこと。それに懲りた(当時の執筆者が論争の際、後悔している)のか、『新修蕨市史』では、蕨市説が強調されている。
結局、最近では蕨城跡として紹介される場合、ほとんどが蕨市の蕨城になっている。とりあえず、個人的な見解としては、蕨市説をとろうかと思う。ということで、今回のタイトルは、蕨城と戸田城にする。(のちのち、結構大事な主張立ったりする)

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