2005年06月23日
果たして大発見になるのか。
長浜城から出土の鯱瓦に金箔が張られていたいたことが判明。
ということで、長浜市は大盛り上がり。しかーし、報じた新聞によってここから先のスタンスが違っている。それはタイトルにも現れている。
かなりはしゃいでいるのが、東京新聞。
長浜城跡から金しゃち 秀吉、信長後継アピール
長浜市にかなり乗かってます。小和田哲男氏のコメントも全面歓迎ムード。
冷静なのは、京都新聞。
金の鯱と判明 秀吉の試作品か 長浜城遺跡から出土の瓦
金の鯱を天守に上げたかどうか。そもそも秀吉が信長の死後すぐに作ったのかどうか。という点に懐疑。というこで、「試作品」などという見出しになっている。
歓迎派の東京新聞の親玉である中日新聞は、中立モード
豊臣秀吉が長浜城に金シャチ 天下統一誇示で製作か
タイトルこそ、長浜市に乗せられているが、文中で慎重派の中井均氏のコメントを乗せたうえに、記事の終わりでは歓迎派の小和田氏に加えて、慎重派の千田喜博のコメントも併記。(いつの間にか奈良大に行っちゃったのね)
これまで城郭研究だと、金箔瓦の意味は重く、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の城郭戦略の違いが見えてくるなどという論じられ方もしてきた。その点では、本当に信長の死直後のものであれば、かなり大きな意味を持つ。
そもそも、記事を見る限り、奈良大(あら、千田さんのところやないか)が判別したのは金箔を貼るための漆を塗布していた痕跡だけではないかと。そこから金箔を張ったかどうか自体が分かっていないような。ついでに、天守あるいは櫓に載せたかというと、そこもはっきりとした根拠がない。「試作品」という見出し通りに、長浜城で大坂城天守に乗せる金箔瓦を作る試作をしていたなんて、あっけない結末かもしれない。(あくまでも大げさな仮説というか空想)
ところで、復元した鯱瓦だけど、隣の出土したものに比べてなんだか不細工な気が。。。
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