2005年12月23日
●発掘物は難しい
なかなか大きい堀が発見された。堀の発見もさることながら、物議をかもし出しそうなのが、堀底から出たという13世紀後半のものと思われる土師器。地元の古文書による築城年代から大きくさかのぼることになるのかどうか。杉山城では縄張りによる年代特定との違いだから、縄張りによる編年の見直しも求められるが文字で残る資料と相違が得た場合は難しい。古文書が誤りor創作なのか。古文書の記述を修築を築城としたと解釈しなおすのか。それとも、土師器自体が築城後に何らかの形で埋められたものなのか。いろいろ検討が必要。
明治21年の絵図どおりの発見ということで、その頃まではしっかりと残っていたことになる。小学校を建てたせいで、消滅してしまったのだろうけど残念。結構、城跡が学校の敷地になるってことがあるんだよね。現在日本でもっとも難攻不落の城、玉縄城(=清泉女学院)とか。攻略するには、結婚して娘を入学させるか、教員として就職するか。
Posted by 向かうところ手品師 at 2005年12月23日 23:04
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