2006年10月20日
●埋めてあるのはなぜ?
『絵図』以前、利長の正室居住初期玉泉院丸 初の遺構 金沢城 慶長期石垣を発見(中日新聞)
石川県が金沢市丸の内の県体育館付近で進めていた、金沢城内にあった玉泉院丸跡の文化財調査で、慶長年間(一五九六-一六一五年)ごろに造られた石垣が見つかった。織田信長の娘で、二代加賀藩主前田利長の正室の玉泉院が当時、住んでいたところで、初期の玉泉院丸の遺構が出るのは初めて。絵図が残っていない初期の金沢城を知る手がかりとしても注目される。(報道部・高橋雅人)
絵図にない遺構が発掘されたというのが興味深い。仙台城でも伊達政宗期の石垣が今の石垣の下から出てきたが、石垣を埋めてしまうのはなぜだろう。再利用した方が効率的だと思うが。強度の問題か、それとも単純に面倒くさかっただけか。今までの例が例外ということなのか。
Posted by 向かうところ手品師 at 2006年10月20日 23:01
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