2007年01月07日

●次は高松?松山?

穴蔵入り口、全容現す-高松城天守閣跡発掘調査(四国新聞)
 高松城天守閣跡(香川県高松市玉藻町)の発掘調査で、高松市教委は五日、発掘現場を報道陣に公開した。天守台石垣の側面から天守閣の一階部分に当たる穴蔵の入り口が全容を現し、入り口横の袖石からは天守台の水平レベルを示すとみられる墨書が見つかった。高松市教委は「(墨書は)天守台の構造を示す貴重な資料」としている。高松市教委は七日に現場を一般公開する。
 穴蔵の入り口は幅三メートル、高さ二・五メートル。天守台に上るため明治以降に設置された階段を取り除いたところ、石垣側面の一部を切り取った格好で見つかった。
 入り口は穴蔵を埋める際に石積みでふさがれているが、切断面が真っ直ぐな袖石で囲まれ、全容がはっきり確認できる。入り口前面下部では平らな石を並べた階段も出土した。 墨書は袖石など二カ所で見つかり、袖石には「柵天守九尺五寸下水」と書かれていた。墨書のある石から「九尺五寸(二八七・八五センチ)」下に天守の最下部があることを示しているとみられ、実際の天守台の底部までの高さと一致した。もう一つは穴蔵入り口の床面の石に「平元」とあり、穴蔵の底を意味すると推測される。
 墨書のほか、城内各所で見られる「ち」「り」と読める符号が刻まれた刻印石も発見。こちらは石を積む際の目印の可能性が高い。
 天守台上面では、穴蔵の壁面の最上部とみられる石積みや、天守閣の礎石四個と礎石の跡五カ所を確認。天守閣解体後に建てられた玉藻廟(びょう)の基礎も明らかになっている。
復元に向けて次々と判明している高松城の天守台で、またもや成果が。構造だけではなく、墨書と刻印が見つかったというのも見逃せない。一般公開するなんて、うらやましい限り。

去年は、初めて四国へ行ったわけだけど、高知の次は高松かな。その前に、松山城は外せないか。

Posted by 向かうところ手品師 at 2007年01月07日 23:48
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