2007年01月08日
●目的が気になる。
名古屋城天守閣、昔の姿に…最上階の窓小さかった(読売新聞)
名古屋市は、名古屋城天守閣最上階の窓を、焼失前の外観に戻す方向で検討に入った。
現在の窓は眺望に配慮して、以前の約2倍の横幅があるが、市民の間から「往時の姿を忠実に再現してほしい」と、根強い要望があるためだ。
名古屋城天守閣は1945年に戦災で焼失し、59年に再建された。5層7階の最上階は展望室になっており、良好な眺望を提供するため、縦73センチ、横152センチの大型のガラス窓が、四方の壁面に20か所取り付けられている。
焼失前の天守閣最上階にも同数の窓があり、窓枠自体の大きさもほぼ同じだったが、2枚一組の引き戸のうち1枚が固定され、外側が白漆喰(しっくい)で塗り固められていたため、窓の大きさは、今の半分ほどしかないように見えた。
名古屋城管理事務所によると、再建当時はガラス窓の上部に戸袋があり、窓の半分を覆う引き下ろし式の板戸が格納されていた。焼失前と同じ小ぶりな窓を“演出”するためだったと見られる。ところが、85年の改修でアルミ製の窓枠に取り換えられた際、戸袋、板戸とも取り外されてしまった。同管理事務所の林幸司所長は「古いことなので、取り外された理由は分からない」と話す。
天守閣は再建から50年近くがたち、名古屋市は今後15年以内に、外壁や屋根の改修、各種設備の更新、耐震工事などに着手することを決めている。窓の改修も、これらの工事と並行して実施できるか検討する。
古写真と違うという話は前からあったが、本丸御殿の復元事業を控えるにいたって、検討し始めたようだ。眺望を考えると、半分をふさぐのはなかなか決断に勇気がいる。1985年以前の引きおろし式の板戸で演出可能にするのか、焼失前の天守と同じく漆喰で塗り固めてしまうのか。
そもそも、なんで半分を漆喰で塗り固めていたのだろうか。天守建築とうそからそうなのか、何かの機会に塗りか耐えられたのか。目的も気になるところ。
Posted by 向かうところ手品師 at 2007年01月08日 23:00
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