2007年01月16日
●天守台発掘ブーム?
名護屋城天守台に別の開口部 設計変更か(佐賀新聞)高松城の天守台に続いて、名古屋城の天守台でも新たな発見。
唐津市鎮西町の国特別史跡・名護屋城跡の天守台南側から、東側にある出入り口とは別の開口部が新たに確認された。発掘に当たっている県立名護屋城博物館は、豊臣秀吉の指示で築城の途中で出入り口を南側から東側に変更したのではないかと推測する。なぜ変更したのかは謎だが、城の中心部分である天守台の設計変更は全国的にも極めて珍しく、秀吉が軍事拠点としての名護屋城を重要視していたことを裏付ける貴重な発見といえそうだ。
いまいち写真だとどのような開口部かが分からないが、一緒に掲載されている図を見る限り、出入口として計画されていたものなのか、何か別の目的を持って作られたのかは不明。角石があったということが、出入口の根拠となっているだけで、まだまだ検討の余地はある。
上に何も建っていない名護屋城でも、まだまだいろいろ発見があることに驚き。
Posted by 向かうところ手品師 at 2007年01月16日 23:10
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