2007年01月20日
●墨はあなどれない。
富山城石垣から多数の墨書跡 金沢の全国研究会で発表 城郭刻印の研究に新分野 (北國新聞) 富山城の石垣から墨書きされた数字や文字の残る石が多数発見されていたことが分かり 、十九日、金沢市の県文教会館で開かれた第四回全国城跡等石垣整備調査研究会で、富山 市教委埋蔵文化財センターの古川知明専門学芸員が発表した。石垣に彫られた刻印は各地 の城にあるが、墨で具体的な職名らしい文字が書かれた跡まで残っていることを調査した 研究は珍しい。つい先日高松城の天守台でも発見された石垣の墨書。どうやら、刻印のための下書きではなく、わざわざ墨書したと考えたほうがいいようだ。それにしても、高松城といい、よく残っていたな。松山城の天守に落書きがあったのも、残っていたわけだから、墨のちからはかなりのものだ。
「富山城の石垣修理の調査成果」として発表された報告では漢数字の黒墨書が三十例、 同じく漢数字を朱墨で書いたのが十五例で、七や十二などの数字が多い。が、中には「六 月廿六日」や、職人の名前らしいものが読み取れるものもあった。また、石工が花押(サ イン)をまねて書いたような墨跡のほか、施工をしやすく引いた線とみられる墨跡も確認 された。
墨で石材に文字が書かれるのは、刻印を彫り込むための下書きともみられているが、直 接加工する職人らの名前が混じるとなると、城づくりに参加した下級職人の生々しい息遣 いが読み取れる。金沢城の石垣からも墨書跡は確認されているが、富山城ほど多くないと いい、石垣研究に新しい分野を開くことになる。
このほか、堀の水を抜いた場所からは、普段は水面下にあって見ることの出来ない「☆ 形刻印」の石を確認した。古川さんの報告では「真上に同じ刻印がある」といい、石垣の 方角から見ても、陰陽道の考えが反映している可能性があると古川さんは指摘している。
Posted by 向かうところ手品師 at 2007年01月20日 23:00
トラックバックURL
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.hot-k.net/tawagoto2/mt-tb.cgi/505
コメント
コメントしてください