2007年01月21日
●どうして気付いた?
最古の石見国図を発見(山陰中央新聞)
戦国末期の一五九〇(天正十八)年ごろ、戦国武将の毛利氏が作成した「石見国図」が、仙台市の宮城県図書館に所蔵されているのを、東亜大学(下関市)の川村博忠教授が発見した。最古の石見の国絵図となり、大田市の石見銀山と島根県鹿足郡の五カ所銀山の当時の隆盛ぶりを詳しく記載。今夏、世界遺産登録される石見銀山遺跡をはじめ、石見国の歴史を考える上で画期的な新資料と研究者は注目する。
そういえば、国絵図は2年のゼミで調べた関係で、発見した川村さんの『国絵図』も読んだ。その国絵図以前に作られた国図というから、確かに画期的な発見。あとは、毛利氏のみのものなのかどうか。1590年ころであれば、秀吉の指示によるものと言う可能性はある。そのばあい、全国の大名へ命じたのか、銀山を有する石見国など重要な国に対してのみ出されたのか。
城郭関係では、要害山の山吹城に三層の天守が描かれているのが気になる。単に形式的に描いたのか、本当に天守が建てられていたのか。記事の写真だと、戦国期城郭ではないようにみえる。
それにしても、よく見つかったな。というか、いままでなぜ気付かれなかったのだろう。
Posted by 向かうところ手品師 at 2007年01月21日 23:29
コメント
コメントしてください