2007年01月28日
●怪我の功名?
福岡城 築城400年 当初の石垣遺構か 福岡市教委 上の橋大手門跡で確認(西日本新聞)福岡沖地震で一部が損壊した南側石垣の解体復元工事に伴う発掘調査によって、発見されたわけで、災い転じて福となすといったところか。しかし、記事にあるように築城当初は2分の1程度で、現在の規模になったのが江戸中期以降だとすると、大規模な改修工事、それも防御力の強化がよく認められたものだ。
福岡市教委は25日、今年築城(落成)400年を迎える国指定史跡・福岡城跡(同市中央区城内)内の「上の橋大手門」跡にある石垣内部から、築城当初のものとみられる石垣遺構が見つかったと発表した。福岡城跡内の建築物跡から、築城当初の遺構が見つかったのは初めて。同市教委は「城の変遷を知る上で重要な手掛かりとなる」と話している。
その一方で、逗子市の住吉城址が破壊されたというニュースもあった。自分は不勉強でよく知らなかったものの、かなり良好な状態で残っていた貴重な中世城郭であったようだ。鎌倉が世界遺産正式登録を目指しているというなかで、周辺の逗子市でこうした破壊がおこなわれたというのは残念でならない。
Posted by 向かうところ手品師 at 2007年01月28日 23:00
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