2007年02月04日
●かなり深いなあ。
堀の底の構造が判明 中津城、予想よりも深く(大分合同新聞)
黒田藩時代(十六世紀末)に築かれたとみられる中津市の中津城本丸南側の石垣と堀を修復している市教委は一月三十一日、堀の底が当初予想されていたよりも深く、石垣の下にさらに礫石(れきいし)を重ねた構造と分かった、と発表した。城の堀の実態が分かるのは九州でも珍しく、市教委では「近世城郭の構造をより鮮明にするヒントになるのでは」としている。
写真を見る限り、非常に深い堀になっている。確かに、水堀だと水を抜かないといけないので、なかなか調査が行われにくい。大坂城のように、こちらは発掘調査でだけど、堀障子が発掘されたりと、まだまだいろいろな発見がある。最近だと、富山城が堀の水を抜いて石垣の修理を行っていたが、どうだったのだろう。
Posted by 向かうところ手品師 at 2007年02月04日 23:43
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