2007年04月05日
●交代で住むのか。
都城島津家史料から滑川屋敷絵図(宮崎日日新聞)どうも記事を読む限り、特定の家臣や領主の屋敷ではなく、交代で入っていたようだ。家臣の城下集住というと、それぞれの家臣が自前の屋敷を構えていたのが普通だが、こういうケースもあるのか。規模も大きく、絵図の内容もなかなか詳しいようなので、興味深い。代官陣屋はあったけどね。
都城市立図書館に保管されている都城島津家の史料から、領主や家臣が鹿児島城下で住んでいた滑川屋敷の絵図が見つかった。建物の配置や間取りなどが詳細に描かれていて、関係者は「屋敷の全体像が一目で分かる貴重な史料」と話している。 絵図は縦が約1・6メートル、横が約2・6メートル。各部屋の名称などのほか水路と思われる赤い線も記されている。
Posted by 向かうところ手品師 at 2007年04月05日 23:47
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