2007年04月09日
●授業開始
今日から授業開始。
といっても、3年の日本史1クラスのみで、ガイダンスと自己紹介を給してもらって終わる。
あすも1年生2クラスで最初の授業。
日本史は明日から徐々に授業へと。普通に授業をする予定だけど、教える側も習うが倭も1ヶ月近く授業を受けていないので、お互いに感覚を徐々に戻しながらとなりそう。
2007年04月08日
●終わったねえ。
明日からは授業開始。
ということで、春休みは終わりました。一般企業に比べれば、ずいぶんと長い休みを貰っているわけですが、授業準備やらをいろいろとしなければいけないので、「もっと時間が欲しい」というのが正直なところ。
まあ、今週は1回目授業はオリエンテーションで、徐々に授業へと入っていく予定だから、まだまだ本格始動という段階ではないのですが。
さて、どうなることやら。
2007年04月07日
●不思議のAクラス?
楽天が10試合過ぎて球団史上初の3位。
といっても、野村監督が言うようにまだ5割に到達していないわけですが。
岩隈がリタイア、林もまめをつぶして2軍落ちという中で、よくもまあ踏みとどまったものだと。
勝ちに不思議の勝ちありといったところだろうか。
新人捕手の嶋が、なかなか良く頑張っている。第2の古田となれるのか。
2007年04月06日
●本格準備
新年度の授業時間割とクラス分けが決まる。
担当科目は異なるところもあるが、ある程度は持ち上がりのようになった。名簿を見ながら、「このクラスは手ごわそうだ」などと、ある程度の予想もついた。
1年生はさすがに分からない。
ということで、いよいよ本格的な準備に取り掛からないと。
2007年04月05日
●交代で住むのか。
都城島津家史料から滑川屋敷絵図(宮崎日日新聞)どうも記事を読む限り、特定の家臣や領主の屋敷ではなく、交代で入っていたようだ。家臣の城下集住というと、それぞれの家臣が自前の屋敷を構えていたのが普通だが、こういうケースもあるのか。規模も大きく、絵図の内容もなかなか詳しいようなので、興味深い。代官陣屋はあったけどね。
都城市立図書館に保管されている都城島津家の史料から、領主や家臣が鹿児島城下で住んでいた滑川屋敷の絵図が見つかった。建物の配置や間取りなどが詳細に描かれていて、関係者は「屋敷の全体像が一目で分かる貴重な史料」と話している。 絵図は縦が約1・6メートル、横が約2・6メートル。各部屋の名称などのほか水路と思われる赤い線も記されている。
2007年04月04日
●途方もない作業
姫路城「石垣カルテ」完成 積み方や年代データ化(神戸新聞)
世界文化遺産・国宝姫路城で、姫路市が四年前から手掛けてきた「石垣のカルテ(台帳)」づくりが、ほぼ完了した。石垣の積み方や造られた年代、危険度などのデータを記録し、崩落の際の復旧に役立てる。調査は、外堀の内側約二百三十三ヘクタールに及び、作成したカルテは千枚以上。石垣の形状から、羽柴(豊臣)秀吉が築いた城が、江戸期に築かれた西の丸に及んでいた可能性があることも分かった。
もともとは、石垣の崩落といった危険防止のデータベースのようだが、姫路城の石垣研究にも大きなデータとなるのは間違いない。姫路城ほどの大きな規模の城で、こういったことが行われたことは、ほかの城郭での実施といった応用にも期待してしまう。それにしても、1つ1つの石垣を丹念にチェックするという作業は途方もないもので、尊敬してしまう
2007年04月03日
●彦根城・佐和山城
彦根城へいく。
盛り上がりはいまいちなんて話もあったが、結構な人出。2回目なので、目玉を中心にまわることとする。非公開の天秤櫓や西の丸三階櫓が特別公開ということで楽しみだったのだが、中で開催中のワダエミの世界の関係で、内部は撮影禁止に。せっかくの貴重な機会がもったいなかった。天守はというと、普段登り慣れていない人が多く、結構混みあって、時間がかかった。本城域から下山した後、彦根城お堀めぐりの屋形船に乗る。墓石の転用石も見られたりと、いつもと違う眺めで、なかなか面白かった。惜しいのが、自分以外の同乗者が年配者ばかりだったこと。
天守を出て、しばらくすると噂のひこにゃん登場。一応11時天守前広場に登場ということで、あわせて天守へ行ったのだが、時間まで少しあるからと売店を見ていると、いつのまにやら登場し、記念撮影会が始まる。飼い主?の女性がカメラマンをやって、次々と撮影が進む。なかなか手馴れたもので、アップと引きの2枚を撮影していく。さすがに、ツーショットの写真は撮ってもらわなかったが、ワンショット(猫なのに…)の写真をひとしきり撮った。どうも、あまりよく見えていないようで、ときどき「左にもいるよ」とか、飼い主に声をかけられていた。たしかに評判どおりのナイスキャラ。後ろ髪を引かれながらも別れて下山。というのも、堀めぐりの屋形船に乗るため。発着所についたのはいいが、12時の会は満席で、13時回にのることになり、時間つぶしに、食事をして土産物屋に入ると、「♪ひこにゃん、ひこにゃん、ひこにゃんにゃん」とご陽気な音楽が。どうやら「ひこにゃん音頭」というものらしい。すっかり、耳について離れなくなってしまった。なんだか、すっかりひこにゃんにやられてしまった。ところで、天守前広場のひこにゃんは、どこから出てきてどこに帰ったんだろうか。
堀めぐりを終えて、彦根城を後にすると、彦根駅から近江鉄道で隣の鳥居本駅へ。今度は佐和山城を目指す。彦根駅から往復という方法もあったが、「近江城郭探訪」にも紹介されていたルートを歩くことに。本丸を目指して一気に登っていくルートだけど、なかなか険しい。やっとのことで、本丸へ到着。本丸からの彦根城が眺めは良く、登った甲斐があった。本丸から下山し、彦根駅を目指す。ところが、下山路の道しるべは折れているは、途中どう考えても山道の方が立ち入り禁止になっているわで、本当に下山できるのか不安になった。無事下山すると、怪しげな天守風の建物が。さらに金閣寺風の建物に、五重塔建物と怪しさ満載。国道を挟んで写真を撮って、彦根駅を目指す。後で調べたところ、佐和山遊園というらしい。彦根駅に戻り、帰路に着く
2007年04月02日
●掛川城・小牧山城
まずは、掛川城へ行く。
戦国の館掛川という企画が開催中。去年、今年と大河ドラマで掛川が登場してくるので、それにちなんだ企画で、ほとんどが大河ドラマ関係の展示だった。城自体は2回目で、別になにか大きく変わったところが、あったわけではないので、取り立てて印象が変わったということは無し。まあ、大きな三日月堀があったが、これも武田系城郭になってしまうのかねえ。
掛川を後にして、続いて小牧山城へ。3月31日に小牧山頂上のなんちゃって天守の歴史資料館がリニューアルオープンしたということで、足を伸ばしてみた。さくら祭りの最中で、屋台も多く人も多かった。山頂のなんちゃって天守の割には、なかなかいい状態で遺構がわかる山城だった。途中発掘調査中で通行止めになっていたが、肝心の発掘調査作業が行われていなかったので、何の調査かは不明。歴史資料館で資料を購入したのだが、職員の応対があまり。。。せっかくリニューアルオープンしたのだし、もっと愛想よく出来ないものかねえ。小牧駅から小牧山まではタクシーで行ったが、帰りはうまいこと小牧駅行きのバスが来た。
でもって、今日は彦根泊。千成亭で近江牛を食べる。高いね。やっぱり。その後、お決まりの夜景撮影。一度撮影したはずなので、今回は深追いせずに、そこそこにして戻るが、結構暗いので、帰り道に迷いかける。城域から出るのに手間取った。
ホテルのロビーでひこにゃんグッズが売っていたので買ってみる。近くのお土産物屋でも買う。売り切れているようなニュースも見たんだけどな。やっぱり、ジャンジャンのニュースは適当なのか。
2007年04月01日
●深沢城
深沢城
知人と3人で深沢城へ行く。
今川、後北条、武田そして徳川と、有力な大名の支配下に置かれた波乱に満ちた城。
いわゆる武田系城郭の特徴と言われる三日月堀が特徴の城で、一の郭、二の郭、三の郭は比較的良く残っている。ただし、一の郭などは、畑となっていて、スプリンクラーも通っており、外郭事態は削られていないが、表面自体は大きく削られている様子。それにしても、あそこまで1箇所に堀が集中する構造の城というのもそうそうないように思われた。図面などを見ると、結構な規模があるような印象を持っていたが、実際に見て回ると思いのほか小ぶりの城だった。
御殿場駅で別れて、掛川で一泊。例のごとく、掛川城の夜景をとりに行ったのだが、掛川の夜は早く帰りにはすっかり店が閉まっており、結局駅前のお好み焼き屋に入ることに。まあ、掛川に着いたのが20時近かったというのもあるけど。セルフサービスの店で、初めてちゃんとしたお好み焼きを焼いたかも。時間的に遅かったから、セルフと気付いていれば、もっと簡単なもんじゃにしたのに。
新しいデジカメは、設定しだいでは結構手軽に夜景が撮れた。
宿は、格安で設備こそやや古いところもあるが、サービスなどは良く、大当たり。